行田のお寺を訪ねて

㈱ヨコカワのスタッフが行田市内の寺院を訪問し、紹介していきます。

当社のスタッフが、市内のお寺を訪問し、御紹介する連載。
今回は、城西にある阿弥陀寺(あみだじ)を紹介させて頂きます。
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行田で唯一の時宗(じしゅう)である阿弥陀寺は、
永仁二年(1294年)に遊行二祖他阿上人が開山。
正長元年(1428年)道阿再興。
以来七〇〇有余年、持田の念佛道場として今日に及んでおり、
境内には秩父線持田駅が有り、
ホームからは平成3年5月24日に落慶した本堂の高い屋根瓦が見えます。  

現住職は、第五十二世 村上義信 住職。
本尊は阿弥陀三尊立像で、
中尊阿弥陀如来は鎌倉時代の様式を残した像高79㎝寄木造りの
漆箔玉眼入り細身の八頭身に近い姿の像で、
市の指定文化財になっており、
上品下生の印相をして腰をかがめた観音勢至の脇侍を従え
来迎の姿を表しています。  
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また、本堂の前には、時宗の開祖である一遍上人の像があります。
一遍上人は、延応元年(1239年)愛媛県松山の豪族、
河野家の一族の後継ぎとして産まれ、
十歳の時に母親を亡くし、
信仰心の厚い父親のすすめにより仏門に入って修行を始め、
36歳から約15年間、51歳で亡くなるまで、
賦算(身分など関係なくすべての人、行きあう人ごとに念仏の札を与えて、
一遍の念仏に結縁させる事)の旅に時衆たちと共に全国各地を遊行し、
また一遍の念仏で極楽住生できると約束された喜びを表現したのが「踊り念仏」で、
興奮の末に煩悩を捨て心は仏と一つになると民衆に勧めました。
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(記事:行田セレモニー/木村友香)

時宗 阿弥陀寺
行田市城西
℡556-0468
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当社のスタッフが、市内のお寺を訪問し、御紹介する連載。
お寺や御住職を、より身近に感じて頂ければと考えております。
今回は、行田市忍にある蓮華寺(れんげじ)を紹介させていただきます。
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日蓮宗寺院の蓮華寺は、当初は小見にあり真言宗薬師寺と号していました。
文永11年(1274年)、佐渡配流の宗祖日蓮上人へ、
幕府の赦免状を届ける旅の途中の日朗上人がこの薬師寺に一夜の宿を乞い、
住職は日朗上人との会話の中で妙法の真髄に深く感銘。
感服して法華経に帰依し、日朗上人に寺を奉献し、
そのことを歓んだ日朗上人は即座に妙法山連華寺と改名し、
ここに蓮華寺は開山となりました。

その後戦国時代になって、
忍城主松平忠吉(尾張徳川家始祖の先代)の命によって、
文禄年中(1592~1596年)に寺を今の忍(北谷)に移し、
忍城鎮守として第十世日深上人を中興の祖としたとのことです。

大正15年、22世大僧正日輝上人は、
本堂、大黒天堂の新築等を行い寺観を一新した後、
その後の歴代の上人たちの手によって本堂、
鬼子母神堂の屋根の修復や客殿の新築、
無縁仏、供養等の建立等がなされ、
法門大いに賑わい現在に至っているそうです。
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寺院内には、御本尊 立正大師日蓮人読経像・釈迦如来立像・
大黒天像・狩野昌運筆の涅槃図などが寺宝として葬られています。
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山門をくぐって進むと、左手に「孝子父母」の石碑や、
小見から移された開山当初のままの石碑が数点並び、
その奥には稲荷堂、日朝堂、大黒天堂、そして右手に鬼子母神堂、正面の本堂へと続きます。
本堂内に入ると、日常の喧騒から離れた、
厳かな空間に包まれ、身の引き締まる思いがしました。
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   ▲左:稲荷堂 右:日朝堂
年中行事としては、5月 花祭り、8月 施餓鬼、11月 お会式、などが行なわれており、
2月の節分の際には、普通の節分の豆まきとは少し違い、
蓮華寺には鬼子母神様が祀られているため、
「鬼は外」とは言わず、「福は内」を三回唱えながら豆をまくそうです。
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     ▲鬼子母神堂
現在は、第24世田中久文住職。
古くからの歴史ある蓮華寺を、
今もなお大切に守り続けていらっしゃいます。
(記事:株式会社ヨコカワ 木村友香)

日蓮宗 妙法山 蓮華寺
埼玉県行田市忍1-1-9 ℡048-556-2727
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行田市内の古刹を
行田セレモニー/㈱ヨコカワのスタッフが取材して紹介するコーナー。 
今回は、行田市行田(下町)の大長寺(だいちょうじ)を紹介させて頂きます。

大長寺といえば、
国道125号線から大きな背中が見える、大仏様が有名ですが、
現在の大仏様は平成八年に再建されたものです。
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元々の大仏様は、
江戸時代、当時の忍藩主阿部豊後守家から当家の菩提寺という縁もあり、
享保年間に寄進されたものでしたが、
先の大戦で梵鐘とともに供出されてしまいました。
現在の大仏より、ひとまわり小さかったといいますが、
壮麗で厳かな露座の大仏でありました。
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▲以前の大仏様

 

また、大仏様の前に大仏様を崇拝するかのように、
様々な石像がありますが、
中には「ドラえもん」など
皆様おなじみのキャラクターの石像も窺えます。
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山門入り参道のすぐ右側に、
足元に白い塩が盛られた御地蔵様が祀られています。
1600年頃の建立といわれるこの「塩地蔵尊」は、
遠い昔より、
人々の様々な悩みや願い事を
有り難い御慈悲によってお救い下される御地蔵様として大変評判であり、
人々はお参りの際や救われたお礼の際は、
塩を手向けお礼をしたので、
御足元が塩の山になりました。
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元亀、天正の頃、
京都知恩寺第29世岌善上人が
奥州方面に巡教された際、
斎条村の農家、原口与左衛門とその一族の帰依を受け大長寺を建立し、
その後前述の通り忍藩主阿部家の菩提寺となり全盛を極めました。
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現在の本堂は昭和58年に新築。
鉄筋コンクリート造り二階建て。
大長寺の本堂は長い歴史の中で度々火災に遭い、
特に明治初年(1868)の火災では貰い火で全焼となってしまいました。
その為、数ある寺宝のほとんどが残念ながら焼失、
散逸してしまい、当初の露座の大仏や梵鐘は戦争で供出してしまい、
忍藩主阿部家の菩提寺という往時を偲ばせる貴重なものも数少なくなりました。

そのような状況の中、
文政二年(1819)千重姫君寄贈、狩野重政筆の「涅槃図大掛け軸」は大変貴重です。
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掛け軸の幅は両手を広げた幅よりも広く、
色も鮮明に残されています。

御本尊前の法事会場には、
各座席前にひとつずつ木魚が置かれています。
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柱には
「よろしければ木魚を御一緒におたたきください」
の案内が貼られており、
法事の際には参列者全員が、
御住職の読経に合わせ木魚を鳴らすそうです。
御住職の粋な計らいなのか、
中には蛙の形をした木魚(?)も幾つかあります。
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大長寺に法事に来られた方は、
この御茶目な蛙の木魚を見つけて、
たたいて下さい。
(取材・記事 ㈱ヨコカワ/行田セレモニー 櫛引ひろし)

浄土宗 大長寺
埼玉県行田市行田23-10
電話048-553-0466

大長寺地図
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